障害・インクルーシブ教育を問い続ける。7回の議会質問と、その後

「難しい」で、最初から選択肢を消さない。
障害があることで、通うこと、学ぶこと、参加すること。
その選択肢が、最初から狭められていないか。
制度があっても、利用するための条件が厳しすぎないか。本人や保護者が希望する学びを選べているか。「一緒に学ぶ」という理念だけで、必要な支援が現場任せになっていないか。
通学支援、特別支援教育、支援学級、学校行事への参加、インクルーシブ教育。
一見すると別々の課題ですが、私が確認してきたことは共通しています。
本人にできないことなのか。 それとも、制度や環境によって「できない」ことにされているのか。
議会で何を問い、何が分かり、そこからどんな課題が見えてきたのかをまとめます。
これまで問い続けてきたこと
01|通う
通学できるかどうかを、家族の頑張りだけにしない。
令和6年12月議会
通学支援制度はある。でも、利用できる人が限られていない?
医療的ケア児については、公的な通学支援制度がありました。
しかし当時、利用するには両親ともに就労していることが条件となっていました。
令和5年12月から令和6年6月にかけて制度導入や利用条件について質問し、令和6年12月には、その後の検討状況を改めて確認しました。
制度があることと、必要な家庭が使えることは同じではありません。
なぜ「両親ともに就労していること」が、子どもの通学支援を受ける条件になるのか。
制度の目的と利用条件が合っているのかを問い続けました。
令和6年12月議会の質問を読むこちら
令和7年3月議会
条件が変わった。その後、本当に使いやすくなった?
令和6年まで継続して確認してきた通学支援について、制度や利用条件に動きがありました。
だからこの回では、単に「制度ができた」で終わらず、誰が対象になったのか。 これまで利用できなかった家庭が利用できるようになったのか。
その後の制度運用を確認しています。
令和7年3月議会の質問を読むこちら
令和7年6月議会
制度を見直した。では、実際の利用状況は?
さらに6月議会でも継続。
制度をつくる → 終わり
ではなく、
制度をつくる → 誰が使える? → 実際に使われている?
まで追っています。
令和7年6月議会の質問を読むこちら
02|学ぶ
「支援を受けられる」だけでなく、本人に必要な学びになっているか。
令和7年3月議会
支援学級を希望しても、必要な学びを選べる?
令和7年度、特別支援教育に関する予算が1,900万円増額されることを受け、その使途と支援人材の増員について質問しました。
同時に確認したのが、支援学級への入級です。
保護者から、
「支援学級を希望したが通級を勧められた」「何を基準に判断されているのか分からない」
という声が届いていました。
市は、教員不足を理由に支援学級や通級指導教室への入級・入室を認めないケースはないと答弁。また、本人・保護者の意向や障害の状態、必要な教育的支援を踏まえて総合的に判断するとしました。
そこでさらに問いかけました。
「総合的に判断する」の、その基準は何なのか。
選択できなかった家庭に、なぜその判断になったのかが分かる説明が必要ではないか。
本人や保護者が納得して学ぶ場を選べるための、透明性を求めました。
令和7年3月議会の質問を読むこちら
令和7年12月議会
支援学級の質を、先生個人の経験だけに任せていない?
次に確認したのは、支援学級に入った後の支援体制です。
支援学級は少人数で編成されますが、実際のクラス編成などは学校ごとの判断も大きい。
また、支援教育を体系的に学ぶ機会が十分でないまま、支援学級を担当するケースもあります。
そこで見えてきたのが、
子どもに必要な支援と、その子を支える先生への支援
の両方です。
子どもに必要な教育が、担当した先生個人の経験や頑張りだけに左右される仕組みにしない。
教員の専門性をどう支え、負担をどう軽減するのかまで質問しました。
令和7年12月議会の質問を読むこちら
令和8年3月議会
「一緒に学ぶ」だけで、インクルーシブ教育と言える?
そして問いは、さらに一段進みました。
障害のある子どもとない子どもが、同じ場所で学ぶ。
それ自体は大切です。
しかし、ただ同じ教室にいるだけで、本当にインクルーシブと言えるのか。
一人ひとりの教育的ニーズに応じた支援や合理的配慮があること。
障害のある子どもだけでなく、すべての子どもが多様性や共生について考え、理解を深める機会があること。
そして、子どもたちが安心して学べる環境になっていること。
「一緒にいる」という形だけではなく、その中で一人ひとりが安心して学べているかまで確認する必要があると考え、議会で問いかけました。
令和8年3月議会の質問を読むこちら
03|参加する
「できない」と決める前に、どうすれば参加できるかを考える。
令和7年9月議会
障害があることで、行事の選択肢まで狭められていない?
通学も、授業も、学校行事も、根っこにある問いは同じ。
「障害があるから難しい」で話を終えるのではなく、 何が障壁になっていて、どうすれば参加できるのか。
本人の希望を起点に考える仕組みになっているかを問いかけました。
令和7年9月議会の質問を読むこちら
7回の質問から見えてきたこと
最初は、具体的な一つひとつの困りごとでした。
通学したいのに、家族が送迎できなければ通えない。
支援学級を希望しても、なぜその判断になったのか分からない。
学校行事に参加したいのに、障害があることで難しくなる。
でも、調べていくと共通する問いが見えてきました。
その「できない」は、本当に本人にできないことなのか。
それとも、
利用条件が壁になっているのか。
必要な人員や専門性が足りないのか。
合理的配慮が十分ではないのか。
そもそも制度が、多様な子どもがいることを前提につくられていないのか。
私が目指しているのは、「全員同じ」ではありません。
インクルーシブ教育というと、「障害のある子もない子も、全員同じ教室にいればいい」
という話に見えることがあります。
でも、それだけではありません。
必要な支援を受けること。別の場所で学ぶこと。時間をかけること。助けてもらうこと。
それも含めて、本人が安心して学び、参加できる選択肢があること。
そして、そのために、家族だけが送迎を背負う。先生一人が支援を背負う。本人だけが周囲に合わせ続ける。
そんな仕組みにもしない。
「できない」で、最初から選択肢を消さない。
でも、誰か一人の頑張りだけで成立させない。
子どもも、家族も、先生も。
最初から、いろいろな人がいることを前提にした教育へ。
これからも、制度と現場の両方を確認しながら問い続けます。
※この記事に関するお問合せ・ご意見は西村ゆみ公式ラインまでお願いします



コメント