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音声があるから点字はいらない?北視覚支援学校を訪れて考えたこと

  • 執筆者の写真: 西村ゆみ
    西村ゆみ
  • 7月4日
  • 読了時間: 2分

先日、「音声読み上げ機能が向上しても点字は必要」という記事を読みました。


娘は地域の小学校へ通っています。


先生方も友達も本当に温かく、地域の学校を選んで良かったと思っています。


一方で、点字で学ぶことには、どうしても限界があります。


「音声があるなら、点字は必要ないのでは?」


そんな声を聞くことがあります。


確かに音声は便利です。


でも、同じ文章を何度も読み返したり、考えながらゆっくり読んだりすることは、音声だけでは難しい。


だから、点字は今も必要なのだと、多くの視覚障害者の方がおっしゃいます。


以前、「それはポルトガル語のプリントを求めるのと同じでは」と言われたことがありました。


その言葉を聞いたとき、とても悲しくなりました。


私は目が見えない子を望んで産んだわけではありません。


たまたま娘が目が見えなかった。


それだけです。


「支援学校があるのだから、そこで学べばいい。」


支援学校という大切な選択肢がある、でもその言葉を聞くたびに考えます。


「受け皿があるのだからそこに行けばいい」


そんな考え方を積み重ねていくと、少数派は少しずつ社会の外で追いやられてしまうのではないか、と。


社会は多数派に合わせることでなりたっています。


でも、多数派を大切にすることと、少数派を切り捨てることは同じではないと思います。


私たちは誰もが、人生のどこかで少数派になる可能性があります。


病気になるかもしれない。

事故に遭うかもしれない。

介護をする側になるかもしれない。


ある日突然、自分や大切な人が支援を必要とする立場になるかもしれません。


だから私は、少数派の声に耳を傾けることは、「誰かのため」ではなく、「私たちみんなのため」だと思っています。


合理性や効率は大切です。


でも、その先で失われるものがないだろうか。


「その人にとって、本当に必要なものは何なのか。」


これからも、その問いを持ち続けたいと思います。


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