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​政治家を志すきっかけ

大学を卒業後、JALの客室乗務員として国内線・国際線共に乗務をしておりました。乗務中、後輩育成など人を育てることに目覚め、個人指導型のエアラインスクール、キャリアージュを設立しました。想いを言葉で伝える事がでれば必ず合格することを軸にコミュニケーション に特化したスクールを設立し、たった1人で10年間に約300名以上内定者を輩出致しました。数多くの生徒さんが、空の上、地上職として活躍しています。

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2012年、結婚を機に高槻市へ。待望の子供を出産しました。生まれた直後、左目は白く濁り、右目が開きません。生まれた次の日に、「目が見えない」事実と向き合わなければいけない現実が突き付けられました。明日すら見えないどん底生活へ。

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退院後、どう育てていいのか右も左も分からない、「見て」という言葉を一度も使うことができない絶望の中で子育てがスタートします。どこに助けを求めたらいいのか?全く分からず、社会から取り残されたような絶望感を感じました。

※当時の心境を書いたエッセイ、準グランプリを受賞しております。こちらを読んで下さい

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目が見えない子供の子育てを通じて生きる上でとても大切なことに気づかされてきました。それは、言語化できる力、集中力、手先の敏感さなど、目が見えないからこその強みがたくさんあることです。マイナスに思われている事は見方を変えたらプラスになるのに、勝手に「見えないから」を思い込まれてチャンスがない。​頑張る人に平等にチャンスを与える社会を作りたい。そんな思いがありビジネスと公共経営学も学べる母校の大学院へ進学しました。全盲の娘を連れて大学院に通ってました。

娘の保育園・幼稚園のお友達が当たり前のように娘を受け入れ一緒に遊んでいる姿を目の当たりにし、どうして大人の社会は子供と同じように受け入れることが難しいのだろうと考えさせられました。

多様性が認められない社会では、狭い選択肢の中で誰かが我慢をすることになります。狭い選択肢の中では、日本の成長要因を 狭めてしまいます。社会情勢の変化や天変地異など常に変化が求められている時代です。

多様性が受容されている社会は、私たちの生きる選択肢を増やすことに繋がり、結果的 にどんなことがあっても生きていけるという安心感を与えてくれると考えます。

 

これまでの画一性と効率によって成長を求める社会から、自分と異なるものを受け入れ 助け合う社会は、ビジネスにおいて新しいアイデアを生み出す可能性を秘めています。

​高槻市から多様性を受け入れる街を作りたい、その強い思いが私の原点です

​寺谷一紀アナウンサーとの対談 高槻を変えたい思い

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